清水小学校、開成中学でプレー
昭和57年 | 苫小牧東高卒業 3年時 インターハイ準優勝(キャプテン) |
昭和61年 | 早稲田大学卒業 4年時 インカレ早稲田28年ぶり3位(キャプテン) |
同年 | 国体優勝 東京都成年(キャプテン) |
平成元年~ | 長野県軽井沢高校コーチ (インターハイ2年連続ベスト8など) 国体長野県少年、成年 監督コーチ(少年全国3位など) |
平成17年~ | 早稲田大学監督 (春、秋連覇ー早稲田初) |
平成22年~現在 | 信州アイスホッケースクールコーチ |
私がアイスホッケーに思うこと
私の知るアイスホッケーは小学1年生のときに札幌オリンピックが開催され、日本が出場してそれ以降ホッケー人気が高まり代々木の国立体育館で国際大会が開かれると「日本チャ、チャ、チャ」と声援がこだましてました。
苫小牧の王子リンクで日本リーグが開催されると決って立ち見が出ていました。
民放でもNHKでもホッケーの試合は見ることもできました。苫小牧のガキ大将は野球、サッカーでなくみんなホッケーをやっていました。苫小牧の小学校、中学校の校庭には各々リンクがあり、ホッケーの部活は当然校庭のリンクで行われるし、学校の体育大会でもアイスホッケーがあり部活に入っていない学生もホッケーができました。今より見るほうも、やるほうも盛り上がっておりました。私のいた苫小牧東高の学校リンク練習は有名で無尽蔵に練習ができたため、やる我々にとっては恐怖でした。1対1の練習だけで午前中いっぱいだったり、練習の最後が100本ダッシュだったり、厳しかったですね。先輩からリンクの周りには血尿の痕があるがあると聞いてましたが、私も経験する羽目になりました。
3年生のときの大晦日にリンクの水撒きで11時に帰ったことを覚えています。
そんな時代を経過し今は苫小牧、釧路の小学生、中学生の競技人口が減り、各学校で単独チームの編成ができなくなったり、実業団チームも6チームから4チームに減り、そのチームも35人くらいの選手で編成していましたが今は25人程度です。
このホッケーのトップを形成する地域またはトップチームの競技人口減がそのまま日本のアイスホッケーの
低迷につながっているように思います。
でも日本のアイスホッケーを悲観してはいけません。ホッケー熱は全国に広まっています。女子にも広まりました。いずれ小中高の全国大会の優勝チームは東北はもちろん本州各地から出るようになるでしょう(過去には本州の優勝チームありますが・・・)。大学も関東中心だったのが関西からもあるいは逆に北海道からインカレ優勝チームが出る時代が来ます。
日本女子がオリンピック出場を決めました。今後はサッカーのなでしこジャパンのように世界のトップを目指しましょう。全国のリンクの数は100を超え、実はあのホッケー強国のチェコを上回っているのです。
夢と希望をもつのは当たり前のことです、戦略と情熱を持ってアイスホッケーを盛りあけましょう。アイスホッケーを楽しみましょう。